秋彼岸棚経
本年も秋彼岸につき、檀家様への棚経周りをさせて頂いております。
今回はここで、お彼岸の由来についてお話ししたいと思います。
秋分または春分を中心とした此のお彼岸という期間は、もともと浄土宗や浄土真宗といった浄土系宗派の仏教文化から始まった習慣であると言われております。
(浄土系宗派の本尊である阿弥陀如来は、西方極楽浄土という西にある浄土の主です。太陽が真西に沈む秋分と春分は、一年の内で西の浄土が最も強く照らされる日であり、浄土が近くに感じるという信仰から、先祖供養が行われるようになったという説が根強くあります。)
この由来を根本としつつ、真言宗僧侶である私(副住職)は、お彼岸という期間を次のように考えています。
「彼岸」という言葉は本来、仏道修行の後に到達する悟りの境地を指します。
今現在、普通人である状態を此岸(ここの岸)、対して高尚な悟りに到達した状態を彼岸(彼方の岸)と呼ぶわけです。
では此岸から彼岸に至るために、人間はどのような修行をすべきなのでしょうか?
それは「中道」に根ざした仏道修行であると言われています。
中道とは「どちらにも片寄らない中心の道」を意味し、両極端を離れた仏道の実践を指します。仏道修行の根本姿勢であり、修行や供養を行う者の理想の姿勢とされます。
つまりあらゆる仏道修行というものは、世俗の楽に甘んじてはならないが、自らを極端に追い詰める苦行であってはならない(不苦不楽)、緩みすぎてはいけないが、張りつめすぎてもいけない(緊緩中道)、というように両極端を離れた中心の道である中道が理想とされ、悟りの境地である彼岸に至る道であるとされます。
話をいちど秋分、春分に戻します。秋分と春分という日は、一年間の中で唯一、昼と夜の長さが片寄る事なく全く同じになる日です。また、太陽は真東から真西に沈み、南北のどちらにも傾くことはありません。
つまり、両極端に一切片寄ることのない「中道の日」なのです。
この事象から、秋分春分は中道による霊験あらたかな日、つまり仏道修行や御霊供養の功徳が増す日であるという信仰が起こりました。
そこから、秋分春分それぞれを中心に、前後三日間を均等に加えた七日間を、仏教行為(主に先祖供養)に励む期間とし、中道を基とする仏道の究極到達点である「彼岸」をこの七日間の呼び名にしたのが、現在の「お彼岸」となる訳です。(はじめは太陽の日の供養として日願と呼ばれていて、後に彼岸と改められたという説もあります)
浄土系の信仰も相まって、このお彼岸の文化は日本中に浸透し、日本特有の仏教行事として広く親しまれております。
本来は、「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるように、寒暖においても季節の中心となるこのお彼岸ですが、近年は温暖化により、暑い秋彼岸の年が続いております。
残暑が未だ厳しい今秋ですが、皆様におかれましては無理なく、しかし懇ろに、中道の精神のもと先祖供養をおつとめ頂ければ大変幸いでございます。
〇空海さんの御言葉〇
「法に言説なく、一切の言説は筏喩(ばつゆ)の如し。有無ともに二辺なるが故に、二つともすつれば中道の樂なりと見ん。」
・真理というのはもともと言語によって表現し得ないが、しかしあらゆる言語は彼岸へ到達する為の筏となり得る。有無という両極端を離れる道を歩めば、そこには中道の安楽が見える。