施餓鬼法会について
大聖院では毎年7月18日に本堂に於いて施餓鬼法会を実施しております。
施餓鬼法会とは餓鬼道に落ちた人々を供養する仏事のことです。本来は季節を問わず行われる仏事ですが、先祖供養に関連する夏の施餓鬼供養が日本では有名となっております。
この施餓鬼供養は盂蘭盆経というお経に説かれるところの、目連尊者(釈迦の弟子)が餓鬼道に落ちて苦しむ母親に対し、夏の季節に供養を行って救い出した説話がもととなっています。(下記リンク参照)
そもそも餓鬼道とはどのような世界なのかと言いますと、餓鬼道は人間の転生先の世界のひとつであり、転生前に犯した罪の報いによって、空腹と渇きを強いられ苦しみのたまう世界です。
餓鬼道に於いては、見つけた食べ物は手に取るとすぐさま燃えて灰となり、水分は一滴残らず蒸発するといいます。もし手元に食べ物の欠片が残っても、餓鬼道に落ちた人間は喉が針のように細くなっており、飢えを満たすことは出来ないとされています。
そのため餓鬼道の人々は体が瘦せ細り、苦しみから顔は歪み、人間の心を失って僅かな食べ物を奪い合い、さながら幽鬼のような外見となります。このような餓鬼道に住まう人間たちを餓鬼とよびます。(この餓鬼から転じて、食べ物を食欲旺盛に求める子供をガキと呼ぶようになったという説もあります)
そんな餓鬼道に苦しむ世界に住まう人々(餓鬼)が救われるよう、作法を施して仏前に祈り、その上で、餓鬼道の人々をはじめとするあらゆる御霊(三界万霊)が安んじられるよう供養をします。
その功徳を以って先祖供養を施すというのが施餓鬼法会になります。
では人の心を失って食べ物すら喉を通せない餓鬼に、どのような作法を施し、どのように供物を捧げるのでしょうか。
其の為には五如来という五人の仏様の力を借ります。
当山をはじめ、多くのお寺の施餓鬼塔婆には五色の施餓鬼幡という幡がついております。その幡にそれぞれ五如来の御名前が記されております。
過去寶勝如来(寶生如来)
妙色身如来(阿閦如来)
甘露王如来(阿弥陀如来)
廣博身如来(大日如来)
離怖畏如来(釈迦如来)
※南無は帰依する(強い気持ちで真摯に拝む)という意味。
※カッコ内は別名。
まず過去寶勝如来の宝光の如き慈悲を以って、餓鬼の持つ他をかえりみない貪りの心を抑え鎮めます。
次に妙色身如来の持つ美しい御身とその功徳により、餓鬼の苦痛に歪んだ人相を和らげ、顔の険を取り去ります。
次に甘露王如来が餓鬼に捧げられた供物に、どんな餓鬼でも満足し得る旨味と十分な潤いを与えます。
次に廣博身如来は餓鬼の体を変化させ、針のような細さの喉を押し広げて十分な食道を確保します。
最後に離怖畏如来の力によって餓鬼の恐怖(猜疑心や警戒心)を消し去り、全ての餓鬼が普く供養と供物を受けられるようにします。
施餓鬼壇で作法を行う導師が五如来の加護のもと餓鬼に功徳を巡らせ、其の上で、法会参加者一同の祈りを以って三界万霊供養を成す。これが夏季施餓鬼供養の要旨となります。
供養塔である施餓鬼塔婆についている五色幡は、五如来の功徳によって餓鬼が滞りなく供養された証であり、先祖代々の供養を成す供養旗となるのです。
・お盆の由来について
お盆
〇空海さんの御言葉〇
「地獄猛炎は殺生の業より発(おこ)り、餓鬼醜形は慳貪(けんどん)の罪より生ず。」
・地獄の業火は殺生の行いによって勢いを増し、餓鬼の醜い姿は貪りの罪によって作られる。