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令和八年春季愛玩動物供養法会

本年も4月29日に春季愛玩動物供養法会を執り行いました。過去に大聖院にて供養させて頂いた動物たちの合同法会でございます。

当日は雨の予報も心配されましたが、何とか曇りでおさまり、過ごしやすい法会日となりました。御参加いただいた皆様に於かれましては御長座お疲れ様でございました。

・大聖院動物供養守護地蔵菩薩

以前の当法会の記事に記載した通り、生物の命には等しく仏の性質「仏性」が宿っているので、どんな動物の命というのも本来は差異なく尊いものです。そういった命を糧として生きている私たちはよくよくその事実を自戒しなければなりません。

命を頂くときのみならず、自分の意志で命を世話する際も同様であり、責任と愛情を以て最期までともにする姿勢が求められます。

本日ご供養させて頂いた各御霊は、深い慈愛に抱かれて命を全うした尊霊ばかりでございましょう。

しかし残念ながら、世間には意味もなく命を軽々に扱い、良識や責任を欠いた行動でそれらを苦しめる人々が一定数存在いたします。とても嘆かわしく、哀しい事実であります。

皆様ご存じの通り、仏教は自らの行いによって死後の行き先が変化すると説きます。善行を積めば浄土に、悪行を積めば地獄に行くというのはよく知られるところですが、実は悪行というのはその種類によって、赴く地獄が異なってくるとされております。

では動物の命を意味もなく苦しめる「悪行」は、死後どのような場所で報いを受けるのでしょうか?

『正法念処経』という経典の中に地獄の各支部が説かれておりますので、一部をご紹介致します。

「屎泥処」(しでいしょ) 対象・動物を意味もなく殺めた人間。

獄卒が大鍋に銅と糞尿をなみなみ入れて沸騰させ、その中で煮られながらそれらを食わされ続ける。

「瓮熟処」(おうじゅくしょ) 対象・動物を不必要に殺して食べた人間。

獄卒が罪人を鉄の瓮(かめ)に入れ、熟成させるが如く火で煮る。瓮熱処(おうねつしょ)とも呼ばれる。

「闇冥処」(あんみょうしょ) 対象・羊や亀(小動物)を間違った見識で殺めた人間。

光のない暗闇の中で、ひたすら炎や熱風に焼かれ続ける。

「不喜処」(ふきしょ) 対象・大きな音で威嚇しながら動物を殺めた人間。

火炎が燃え続ける空間の中で、炎の嘴をもつ鳥、地獄の番犬や妖狐などの獣によって全身を食われる。

「極苦処」(ごくくしょ) 対象・苛立ちを動物や物にぶつけ、自分勝手に殺生した人間。

火で炙った鉄で獄卒に体を焼かれ、地獄の谷底に突き落とされる。そのたびに蘇生させられ、獄卒に同じことを繰り返され続ける。

書くのも恐ろしい内容ばかりですが、上記はまだほんの一部であり、この他にも報いに応じて様々な地獄があるといわれています。

人間は他の動物に比べて、大量の命の犠牲の上に生活の安泰を得ていますが、命を愛でるとき、また奪わざるを得ないとき、慈愛と自戒を以て対しなくてはなりません。

人間ひとりひとりの心界、また生き方を仏様はしっかり見ておられます。本日の法会を通じて住職、副住職ともに天に昇りし清らかな御霊の安寧を心からお祈りするとともに、命の尊さを深く再認識するところでございます。

この記事を目にする皆様に於かれましても、普段の生活の中で共に過ごす命あらば、慈しみを以て接して頂ければと思います。

〇空海さんの御言葉〇

「心王の天子は罪を弔う力無く、心数の相将は殺伐するに由なし。ついんじて身は馬頭の剣に斬られ、体は牛頭の戟に砕かれる。熱鑊(ねつかく)の獄石はうすらげども出づること無く、寒氷の苦芥(くかい)は尽きれども何ぞ免れん。」

・人間の心の中心部分は罪を反省する能力に欠け、中心以外の様々な心のはたらきも物騒な欲を止められない。その結果、地獄に落ちて馬や牛の頭を持つ獄卒に身を害され、熱湯で煮られたり石が砕けるほどすりつぶされても解放されず、冷たい氷水に漬けられ続けても放免されることは無い。

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