令和七年秋彼岸棚経
令和七年も秋彼岸に到り、彼岸棚経周りをさせていただいております。


酷暑もようやくおさまり、秋らしい気温になってきたように感じます。
以前投稿した記事の中で、彼岸とは悟りの境地を指す言葉と説明させて頂きましたが、一説には太陽信仰をもととした日願(ひがん)という言葉が起源の可能性もあると述べさせて頂きました。(下記リンク参照)
太陽が真東から昇って真西に沈み、昼夜の長さも全く同じになる日光の霊験あらたかな日に、その神秘を拠り所として先祖供養を為すようになったという説です。
仏教に於いて太陽の仏は「日天」という尊格です。(大日如来が太陽の仏であると勘違いされることがよくありますが、大日の日という言葉は“日の光よりも明るく全てを照らす性質”を表し、太陽そのものとは異なります)
古代インドに於いて太陽とは、馬がひく車に乗って大空を駆け抜ける神の姿であると考えられていました。仏教に於いてもその尊容は引き継がれております。
直視できない日光の輝きや闇夜を払う暁が、人間に福徳をもたらすと考えられたのです。

日天は仏教世界を守る十二天の一尊であり、月の月天と共に、昼夜絶えず我々を守護して頂いております。
大聖院檀信徒各家先祖代々の方々が諸天の加護のもと、陽だまりの如く安寧で温かな後生を得られますよう、共にお祈りして参りましょう。
・彼岸について・
秋彼岸棚経
〇空海さんの御言葉〇
「日輪は飛び、そして暗きは破れ、金剛をふるい、以て迷いを催(くだ)く。」
・日光によって闇が除かれるように、真言密教の金剛石の如き教えは迷いをくだく。





