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令和六年春季愛玩動物供養法会

本年も彼岸供養の時期に合わせ、合同の動物供養法会を厳修致しました。

参加された皆様におかれましては、夏のような暑さの中での御来寺、大変お疲れ様でございました。

つきましては動物供養に当たり、今回は弘法大師の次の言葉をご紹介したいと思います。

「鱗衫羽袍(りんさんうぼう)蹄舃角冠(ていせきかくかん)誰ぞ仏性なからん。」

鱗を持つ魚類であれ、羽で飛ぶ虫であれ、蹄や角を持つ動物たちであれ、あらゆる生物は仏の性質を必ず持っているという言葉です。

真言宗は教義として、万物の根本は大日如来という仏であると定めています。つまりあらゆる存在は大日如来が姿を変えて現れているものであり、生命のことごとくは大日如来そのものであるとされます。

故に、全ての命には仏の性質である「仏性」が宿ると説かれる訳です。

「動物は文字や言葉が理解できない為、お経や戒律が理解できない。だから徳を積むことができず、成仏が出来ない。動物を供養することに意味はない。」

動物供養に際してはこんな理屈も聞かれますが、そうは思いません。

「仏性」が内に宿る故、あらゆる生命は微生物や草木に至るまで、善行を自らで施し悟りを目指すことが可能であり、また他者からの祈りによって仏徳が積まれ、善き転生を迎えることが出来るのです。

教義上、動物が自ら供養を行うことも、動物を他の生物が供養することも、決して無駄ではありません。

その理念のもと、かつて家族であった魂のあたたかい後生を祈ることが当法会の要旨になります。

・大聖院動物御霊守護地蔵菩薩

願はくは有形有識、普く御仏の加護あらんことを。

合掌

〇空海さんの御言葉〇

「鱗衫羽袍(りんさんうぼう)蹄舃角冠(ていせきかくかん)誰ぞ仏性なからん。」

・鱗を持つもの、羽で飛ぶもの、蹄で地を踏み角を生やすもの。仏の性質を持たない生き物などいようものか。

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